littlebirds0 ヴィデオジャーナリストの綿井健陽は、バグダット市内へ侵攻してくる米軍の戦車を映し出しつつ、この作品の冒頭でこう呟く。「なんということだ」 彼は“日本人”という、もはや敵国人となった属性を引きずることで幾度となく罵声と蔑視を浴びながら、それでもイラクの人々の側に立ち、ひたすらにカメラを回し続けていく。
 3歳と5歳と7歳の子供を失った父親は、自宅に隠し持つAK47を構えてこう言い放つ。「この銃は、いつかアメリカ兵を撃ち抜くためにある」
 
 もしそこに大量の油田が存在していなかったら、アメリカはそれでも“解放のため”イラクへ侵攻していたろうか。もし中央アジアからパキスタンへ抜けるパイプラインが通す計画がなかったら、アフガニスタンの大地を放射能で汚す真似をしたろうか。理不尽な襲撃により自分にとってかけがえのない人を奪われた男のいくらかは確実に、残りの人生をただ復讐のためにのみ費やすことになるだろう。それが正常な人間の反応だ。愛し愛された人を殺されてなお、仕方のない犠牲だった、よくやってくれたと拍手を送る人間などいるものか。
 映画“Little Birds”は、そのようにして己を憎む敵を自ら生んでいくことで利益を得る人間たちが好き放題に世界最強の軍隊を操ってあることの悲劇を、その悲劇を実際に背負う羽目に陥った人々の側に立って映し出した類稀な作品だ。爆発による破片を片眼に深く埋め込んだまま、カメラに向かってはにかむ少女(画像右上)。片手を失った息子を傍らに、代わってやりたいと泣き叫ぶ母親。敵国人である綿井に殴りかからんばかりで迫る激昂した若い医師を無言で取り抑える、自らもまた家族や知人のいくらかが死傷しているに違いない周囲の大人たち。これらのシークエンスには、記号化され平準化されたニュース映像からは決して伝わってくることのない種の真実が宿っている。

 戦争に苛まれるイラクの人々の表情は、メディアを通じてもう嫌というほど接してきたし、そこに一筋縄ではいかない矛盾がどれだけ潜んでいるのかということも、なんとなくそれで誰もが知った気分になっている。巷間にはそうした雰囲気が確かにある。ほんとうのところ自らが日々働いて納めている税金が、他国の国債やら思いやり予算やらを通じて“同盟国”への軍事支援に役立って、どれだけの無実の人々の命を奪い、笑顔をなくすことに費やされているのかということを、この国の大人たちのほとんどは心のどこかで知っている。“自己責任”とは、都合の悪いことに対しては目をつむってあることだ、ということすらもすでに社会的なコンセンサスをとっている。
 なんとすばらしく平和な国の、いと心地よき映画館の座席に身を沈め、私たちはこうして素朴に涙することだってできてしまう。この国に生まれ育ちこの最低に幸福な生活を享受できる運の良さを、いったい私たちはいつまで安住し噛みしめていられるだろうか。


"Little Birds" by 綿井健陽 [+撮影] / 安岡卓治 [製作/編集] / 102min / 日本 / 2005 K's cinema ☆☆☆