米大統領選などでのこの人のメディアへの過剰な露出ぶりはよく目にしていたし、こういう人がこういう文脈で活躍できるのはアメリカ文化の美点の一つでもあるのだろうが、こうした形で社会問題が消費されてしまう危うさもそこにはきっとある、というような見方をしていたからこそなのだろう。昨年のマイケル・ムーアのカンヌ最高賞受賞には驚いた。
 それで遅ればせながら実際に観て考えた。作品に力はある。コロンバインでの銃乱射事件、近隣地区での幼児による射殺事件といった個別の事象から、銃器製造会社から軍需産業へと話を集約、展開させていき、その背景にある人種差別、貧困、福祉といった社会問題に切り込んでいくプロット構成は見事だし、編集も巧み、社会的弱者の立場に視点を定めた非常に訴求力のある作品に仕上がっている。

 この時代のこの国だからこそ、こうした作品がしっかりと撮られ評価されることの意義は大きい。だが、作品の質本位でよりつぶさに観てゆくならどうだろう。少なくとも、表現ジャンルとして成立している‘ドキュメンタリーフィルム’として考えたとき、“ボーリング・フォー・コロンバイン”が達成している水準は相対的にみて決して抜群とは言えない、とあたしは思う。
 前にドキュメンタリー映像作家の森達也が全国紙に載せていたマイケル・ムーア批判はこれだったのかと、いまDVDを観終えて初めて納得できたものがある。たとえば個人的にこれまで幾度か足を向けてきたドキュメンタリー映画祭の東京での上映会に、仮にこの作品が出品されていたらどうかと想像してみる。決してベストの評価を集めるもののようには思えない。構成、演出、メッセージの迫真性、いずれの要素においても他から際立って見事だとも巧いとも感じないだろうと思う。衝撃度はむしろ小さい。

 とはいえ兵器工場への取材やマリリン・マンソンへのインタヴューなど絵になる箇所を多く散りばめ、銃乱射事件の社会的背景を探っていくサスペンス調の筋立てや個別の事象から一気に問題の核心へと突き抜けていくエンターテイメント的な手際の良さには感心した。とりわけ全米ライフル協会会長チャールトン・ヘストンの豪邸に押しかけるシークエンスは、取材の時間帯が及ぼす背景効果や交わす言葉の間合いなどの選択などがとてもよく計算されており、この作品のクライマックスに相応しい仕上がりとなっている。
 ちなみに彼がカンヌでパルムドール(カンヌ映画祭における最高賞)を獲得したのは2004年公開の次作“華氏911”においてだが、実はこの作品“ボーリング・~”もパルムドールこそ逃したものの2002年のカンヌにきちんとノミネートされており、とってつけたような55周年記念特別賞なるものに輝いている。2004年の受賞時は審査委員長を務めたタランティーノの嗜好がやたらに喧伝されもしたが、予兆はすでにこのとき、あったのだ。


"Bowling For Columbine" by Michael Moore [+scr] / Michael Moore, Charlton Heston, Matt Stone, Marilyn Manson [participant] / George W. Bush [archival appearance] / 123min / USA / 2002 [過去blogより移行]
2002年カンヌ国際映画祭55周年記念特別賞 ☆☆