架空の画商マックス・ロスマン(Max Rothman)と画学生時代のアドルフ・ヒトラーを主人公とした作品。去年の暮れに Robert Carlyle 主演のテレビドラマ"Hitler: The Rise of Evil"を観ていて、「なぜにいまヒトラー?」との思いが重なり借りてみる。

 この作品、何より光っていたのは美術の手際で、舞台となる1910・20年代のミュンヘンの街角や、当時の人々の生活様式、風俗の再現に異様なほどの執着を感じた。単に画面に古色を添えるだけでなく、窓ガラスや家具類、各種の生活用具などといった室内インテリアにバウハウスなどの先進的なモードを大いに取り入れており、カメラが丹念にそれらを映し出していく。制作にハンガリーがからんでいるのはロケ地として重用したからだろう。これは意外な掘り出し物だったなと満足して美術スタッフを確認した所、“コックと泥棒、その妻と愛人”などグリナウェイ作品を複数手がけている Ben van Os だった。撮影は Pierre Gill。

 話を戻せば“Max(アドルフの画集)”はハンガリー・カナダ・イギリスの共同制作、"The Rise of Evil"はアメリカCBSの制作で、どちらも2002年に撮られている。2001年9月11日のテロをどう克服するかというところで、“他者”への理解を深めたい、あるいは促したいという心理的機制に、提出された構想案がうまく載ったというところだろう。たとえば同じアメリカの制作会社HBOが2001年秋に発表した“Band of Brothers”などと比べると、ナチに駆動される‘普通の人々’に対する視線の変化が明確に読み取れる。
 また“Max”が架空の画商という媒介者を準備することで、ヒトラーの“そうはならなかったかもしれない”可能性を仄めかすのに対して、"The Rise of Evil"はドキュメンタルな趣きを添えることで“こうにしかなれなかった必然”を納得付けようとする、その方向性の対照はそのままイスラム原理主義勢力に対する欧米の態度の差に通じているようで興味深い。(後者に備わるこの偏狭さはカーライルの好演によってかなり掬われてはいるものの)

 公園の茂みにランプを吊るす小鳥売りや、第一大戦に敗戦した名残で鉄くずの山と化している廃工場の描写など、ディティールまでよく作り込み、撮り切っていた。セリフの端々に、「エルンストは俺よりハンサムか」とか「今度のオープニングにはデュシャンも呼んでるぞ」、「ではクレーなどはいかがでしょう」などと当時の前衛芸術家たちの名がぽんぽん出てくるのが面白い。
 監督はメノ・メイエス、主演はジョン・キューザックとノア・テイラー。メイエスはスピルバーグ作品などの脚本を長く書いてきた人らしい。画商の妻役で翳のある知的な女性を演じたモリー・パーカーなど、脇役のキャスティングも巧い秀作。


"Max" by Menno Meyjes / John Cusack, Noah Taylor, Molly Parker / 109min / Hungary, Canada, UK / 2002 [過去blogより移行] ☆☆