2004年、巨大企業ウェイランド社の情報衛星が、南極大陸の地下深くでの謎の熱源の発生を探知する。衛星からのデータを解析した結果、それが世界最古の文明が生んだ古代遺跡だと判明する。経営者であることに誇りと同時に虚しさをも感じるウェイランド社CEOのチャールズは、自身による現地調査を決断。各分野の専門家を招集し、南極に向かう。

 “アイ,ロボット”や“キル・ビル vol.1”の項にも述べたが、こうした現代ハリウッドの商業娯楽映画に作品世界のもつ物語性や品格、真性の意味での芸術性を求める姿勢は直截に言って‘もったいない’。制作の側はすでに構造的な意識転換を終えている。観る側はその変化に寄り添い、大規模な資本の投下を以て展開される視覚的イリュージョンをのみ楽しむスタンスを採るのが最も‘ペイ’すると個人的には考える。
 その伝でいけば、舞台となる遺跡のデザインや、南極大陸の氷上にあり地下遺跡の上部に位置する19世紀に廃棄された捕鯨基地のセットなど、視覚的に楽しめた要素はかなり多い。エイリアンとプレデターの格闘シーンも、プレデターの人型の身体に対する、エイリアンの特異な身体構造から生み出されるアクションはよく練られており見応えを感じた。

 その意味ではブログ等であれこれ書くのはあくまで二次的な享楽に過ぎないが、そのうえでなお一つ気になった点を挙げるなら、クメールとアステカとエジプトの混合ゆえに、世界最古の原型的な文明だというロジックはあまりにもしょうもない。言うまでもなくクメールもアステカも隆盛を極めたのは12,3世紀の話で、場を移せばハプスブルクや鎌倉幕府の時代である。たしかにエジプトに加えてメソポタミアやインダスでは醸す神秘性に目減りはあるが、せめてオルメカや三星堆あたりを出してほしかった。三星堆のややこしいデザインとか、うまくデフォルメすればエイリアンをデザインしたH・R・ギガーのセンスに絶対合うと思うのだけど。
 もう一点。“フレディvsジェイソン”、“ゴジラvsガメラ”など、人気の凋落しつつある同ジャンルのキャラクターを対決させるという手法はいかにも商業娯楽映画にありがちだが、その対照性を押し出す要に駆られるあまりか、各々のキャラクターが元々持っていた魅力を出し切れずに終わることもまたありがちなのに違いない。人型ゆえにかプレデターが複数の個体間に人格の差異をも感じさせる表現を施されていたのに対して、エイリアンの方には映画“エイリアン”シリーズが育んできたような存在論的な深みが一切欠けていた。とりわけ女王蟻的なマザー・エイリアンが、‘こいつを倒せばアガリ’という以上に何の含みもないボス・キャラとして消費されていたのは残念。
 最初に作品内世界観を総覧し、後半はアクションにのみ集中するという“バイオ・ハザード(Resident Evil)”と同様のポール・アンダーソンの制作手法は、シンプルで良い。何よりその衒いのない率直さが良い。アクションが見せたいんだそれだけさ、っていう。


"Alien vs. Predator" by Paul W.S. Anderson [+scr] / Sanaa Lathan, Raoul Bova, Lance Henriksen / 100min / USA+Canada+Germany+Czech Republic+UK / 2004 ☆